出張で関東に行き、秋葉原に立ち寄ってきた。
噂には聞いていたけれど、万世橋の向こうに立っていた万世ビルディングがすっかり撤去されていた。
父親と初めて万世ビルの肉の万世でハンバーグを食べた時、地方から出てきたおのぼりさんの私は、初めて自分があの「秋葉原」に足を踏み入れたのだ、と感動したことを今でも覚えている。たしかコロナ禍の頃だった。
ということで、秋葉原を秋葉原たらしめていたものが無くなってしまっていたので、知らない町に降り立ったみたいだった。
石丸電機のビルも解体に向けて足場が組んであった。電気街口のLABIもソフマップになっていた。
電気屋はカードショップになっているし、インド訛りの青年は日本人相手に中古PCを売らず、外国観光客向けにキャリーケースを売っている。
天下一品の横の喫煙所は閉まっている。町を歩くとケバブの匂いと下水の匂いが混ざったぬるい風が吹きつけてくる。
コンセプトカフェの客引きだけは、相変わらずけだるげに等間隔に並んでいて、汗でシャツが張り付いたサラリーマンの私が彼女たちの目に留まることはない。
私も旅行客みたいなものなので、お前、変わっちまったな……と、ノスタルジックになるつもりではないのだけど、やはり町から断られている気がして落ち着かない。
変わっていないものもある。
中央線高架下のタバコ屋は変なフレーバーの煙草を売ってるし、駅前の富士そばは入店から30秒で蕎麦が出てくる。ラジオ会館のエスカレーターは群衆雪崩が起きそうなくらい混雑している。
変わっていないものを求めて、足しげく通っていた「刀削麺 唐家」で半年ぶりに麻辣刀削麺を食べた。店員が玉汗を浮かべながら忍者が手裏剣を投げるみたいな手つきで麺を削るのを見るのが好きで、いつもと同じ寸胴近くに座る。
刀削麺がしびれる麻辣のスープに絡んでうまい。パクチーも一緒に食べると意外とさわやかさが口に広がって食欲が増す。スープに沈んた豚そぼろを丁寧にさらう。毎回思うけどコメが欲しい。

店を出て気づいたけど、新しく見る顔の店員だったし、券売機は新札に対応していたし、1000円札を入れて帰ってくるおつりの数が少なくなっていた気がする。
当たり前で、認めたくないけど、時間が経つ限り、マクロでみると変化がなくても、物事はミクロでみるとは流動的に変化を続けているんだな、と思った。人間が代謝を繰り返すように。街もまた生き物と同様なんだな。
でもやっぱり知っている街が変わるのは寂しい。
8/19 追記
建物の老朽化に伴い野郎ラーメンも無くなるらしい。
久しぶりに東京を訪れて気持ち悪いくらいアンニュイな気持ちになっていたけど、ジャンク通りの建物は、外壁に漏水と遊離石灰が生じて傾いているか、新築ガラス張りオートロックのムカつくくらいピカピカか、どちらかなので、頑なにとどまり続けるのも良くないなあと思いました
おわり